【ご参考】

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商工会議所の創設者 渋沢栄一翁の玄孫である渋沢健氏のメルマガを転記します。

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謹啓 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

令和時代の開幕です。これまでの時代に溜まって淀んでいるものをはらい除き、長年かけて継いで築いてきた功績や普遍的な価値を再確認し、日本の本来の姿を磨く最適な時代の節目が訪れています。また、令和という元号が世に明かされた4月1日からおよそ一週間後に日本の紙幣の刷新も発表されました。

世の中の流れはキャッシュレスであり、新たな紙幣のデザインは時代遅れという考えもあります。私自身もキャッレス化の信奉者であり、確かにお金を存在意義が交換、尺度、価値保全という「機能」だけに留まれば、リアルな紙幣の発行はいりません。

ただ、お金には「機能」だけではなく、メッセージ性という「意味」があっても良いと思います。逆にメッセージ性がなければ、お札を印刷することには意味がないということでありましょう。

日本の新しい時代である令和における紙幣の刷新の図柄から読み取られるメッセージとはサステナビリティ、持続可能な社会を築くことであり、そのために三者への期待が示唆されていると感じました。ライフサイエンス(北里柴三郎)、女性の活躍(津田梅子)、そして経済人(渋沢栄一)です。あるいは、研究、教育、実業と置き換えても良いでしょう。

特に経済人が国の紙幣の図柄になる例は日本のみならず、世界で前例がないことかもしれなく、メッセージ性を感じます。現在の資本主義は格差やブラック企業を産むなど様々な課題を抱えており、反発の声が世界で上がっている状況で、日本の新しい時代の最高額面の紙幣は、あえて「日本の資本主義の父」の肖像を活用します。このメッセージ性とは何か。

実は、渋沢栄一は「資本主義」という言葉を使っていなかったようです。一方、「合本主義」という言葉を使いました。会社を資本で支配する大株主より、少数株主の会社形態の方が価値を多数へ分配できて国が富むと考えたからでしょう。

日本の新しい時代に必要だった新事業である銀行を日本で初めて興した際の株主募集布告で渋沢栄一が提唱しています。

「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。」             

これは銀行に集まってくるお金だけではなく、少数株主という「滴」でも同じことが言えます。一滴一滴の滴が、共感によって寄り集まり、共助によって互いを補い、「今日よりもよい明日」を共創することが、日本の資本主義の原点である渋沢栄一の合本主義です。

渋沢栄一と同時代で著しい功績を築いた三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎は才能ある経営者が資本も掌握して会社を舵取るべきと考えたようです。合理的な考えで、現在でも同じような経営者・投資家の存在がいます。一方、渋沢栄一は合本主義によって会社の利益が多数へ還元され、国が富むことを目指していました。

一人ひとりが豊かになれば、国が豊かになる。民間力の向上によって、国力が高まる。そして、その未来を実現させる主役は民間の一人ひとりである。渋沢栄一は「未来を信じる力」の持ち主でした。

その民間人が導く豊かな国の未来を実現させるために渋沢栄一が唱えたのは「論語と算盤」でした。渋沢栄一の代表的な思想である論語(仁義道徳)と算盤(生産利殖)の現代意義とは何でしょう。一般的には「倫理的資本主義」と云われ、栄一自身も「道徳経済合一説」と表現していました。

ただ、「論語と算盤」が示す正しい道理に基づいた経済活動とは手段であり、目的ではありません。「論語と算盤」の目的の現代意義とはサステナビリティ(持続可能性)だと思います。

サステナビリティには算盤が不可欠です。ただ、算盤だけを見つめているとつまずいてしまうかもしれない。一方、著しく世の中が変化する最中に論語を読むだけでもサステナビリティが乏しいです。論語「か」算盤ではなく、あくまでも論語「と」算盤です。未来へ前進する車の両輪のような関係であり、片方が大きくて、片方が小さければ、同じところを回るだけで前進することができません。

ここで大事な要素とは、経済社会の原動力となる大河のようにお金が循環することです。それは自分の身丈に合った消費をすること。よりよい社会のために自分の想いを抱いた寄付をすること。そして、持続的な価値創造を対象とした投資を実践すること。

私たち一人ひとりも「未来を信じる力」を少なからず持っています。その微力な未来を信じる力が一滴一滴と寄り合って流れ始めれば「今日よりもよい明日」を実現させる勢力になります。

5年後に新紙幣が日本社会で流通する頃、渋沢栄一は大きく声を上げるでしょう。「ワシは暗いところが嫌いじゃ。タンスに入れっぱなしにしないでくれ!」と。

□ ■ 付録:「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」■ □
(『論語と算盤』経営塾オンラインのご入会をご検討ください。http://y.bmd.jp/bm/p/aa/fw.php?d=70&i=ken_shibusawa&c=52&n=12842)

『論語と算盤』論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの

 正しい道理の富でなければ
 その富は完全に永続することができない。
 従って、論語と算盤という懸け離れたものを
 一致させる事が今日のきわめて大切な務めである。

渋沢栄一の講演集である「論語と算盤」が刊行されたのは1916年、大正5年でした。明治時代を経て、新興国である日本が当時の先進国に追い付いた時代背景がありました。そういう意味で豊かな生活に恵まれていた日本社会へ渋沢栄一が警告を鳴らしていたのは「正しい道理の富」でした。富の永続性には正しい道理が不可欠と考えたのです。しかしながら、その新しい時代の幕開けに、当時の日本社会は耳を貸さなかったのでしょうか。大正という短い時代の後に到来したのは昭和の初期、日本の暗黒時代であり、サステナビリティが問われた時代になりました。

『渋沢栄一 訓言集』国家と社会

 すべて世の中の事は、
 もうこれで満足だという時は、
 すなわち衰える時である。

お金をタンスや預金に入れっぱなしにすることで安心する満足するという経済社会は、衰える経済社会であります。政府が金融緩和の大義で株式ETFを買い続けることに安楽を抱く株式市場、公共支出を増やし続けることが成長の処方箋と甘んずる事業も同じです。「未来を信じる力」を民間の個々が合わせることによって、新しいお金の流れが新しい時代の原動となるのです。

謹白

2019年5月6日
渋澤 健